2月の塩川の歴史を学ぶ会を開催しました。
今回は、塩川の三橋という地区のある家系のお話になりました。今回の会で出てきたキーワードは、源氏、京都、青森、伊達政宗、芦名氏・・・。
ということで、会津藩以前の会津の武士の話や、400年前の塩川のお話となりました。
塩川の歴史を学ぶ会では、塩川は商業の町であるという文脈で、これまで話を進めてきたのですが、地区によっては、武家としての歴史を持つ一族もいらっしゃいます。
かつては三橋城という城もあった三橋は、塩川駅から猪苗代、さらには郡山に続く道沿いであり、また、会津若松市から、喜多方の熊倉を経て米沢に行くための道でもある場所で、地理的に重要な場所です。
その土地で400年続く一族のお話を伺いました。
そして、その一族は、塩川に来る以前を、さらに遡ると、青森、さらに京都にルーツがあるとのことです。
かつては蝦夷だった東北の最南端であり、また、古事記では、北陸道を下る神と、東海道を下る神が出会ったのが会津(相津)だとも言われる、そんな異文化が出会う場所である、会津地方。
そのなかでも、会津盆地の中央部にある塩川は、地理的な観点から見ても、さまざまな出来事が起こりやすい土地であることは想像に難くありません。
いやあ、それにしてもすごい。というお話になりました。
塩川にもそういった歴史をもつ家があるということがわかったので、そのあたりもこれから、様々な家の方にお話を伺い、掘り下げていければと思います。
塩川の駒形地区、そして、喜多方の熊倉は歴史が古く、栄えた場所であるという話にもなり、近隣地域の歴史などにも話が及んだ会でした。